1207年7月
1207年7月の『吾妻鏡』記事 4 件
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記事一覧 (4)
- 1207-07-12
建永二年六月十六日 上貴賤多以病悩
- 1207-07-18
建永二年六月二十二日 廿二日△丙寅霽△坊門亞相〈信清卿〉使者、參著、所 被進仁和寺御室令旨也是紀伊國土民等、亂入高 野山、企狩獵、押妨寺領、和泉、紀伊國守護代、爲其張 間、御室以件金剛峯寺所司等状、被仰合坊門仍又 被傳申其旨〈云云〉
- 1207-07-20
建永二年六月二十四日 廿四日△丙戌晴△就御室仰坊門亞相被執申高 野山愁訴、紀伊國土民、狼籍事、於御所、有其沙汰和 義連卒去之後、未被補其替、向後、兩國爲△院御熊 野詣驛家雜事、自今以後、無指事外、不可置守護人 就之諸事、可爲仙洞御計之由、被定之仍義連代、早 可召上之由、所被遣御書於掃部入道寂忍之許也 廣元朝臣、奉行之
- 1207-07-25
建永二年六月二十九日 廿九日△癸酉△陰陽師左京亮維範、自京都參著